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上七軒のお茶屋さん

上七軒の歴史

上七軒の歴史沿革は、古文献記録その他伝説等に依て之を要約すると、 文安元年(西1444年)室町幕府武営の頃、北野社殿が一部焼失し、時の将軍、十代足利義植は所司代 細川勝元に命じて、社殿の造営をさせました。その際、社殿御修築の残材を以て、東門前の松原に、七軒の茶店を建て、 参詣諸人の休憩所としましたので、人呼んで七軒茶屋と称したのがその由来であります。
その後、天正十五年(西1587年)八月十日、太閣秀吉、北野松原に於て晴天十日間の大茶会を催し「茶の湯熱心のものは、若党町人百姓以下のよらず来座を許す」 との布令を発したため、洛中は勿論、洛外の遠近より集まり来る者限りなく、北野付近は時ならず非常の賑わいを呈しました。
その際この七軒茶屋を、豊公の休憩所に充て、名物の御手洗団子を豊公に献じたところ、いたく賞味に預り、 その褒美として七軒茶屋に御手洗団子を商うことの特権と、山城一円の法会茶屋株を公許したのが、我国に於けるお茶屋の始まりであると伝えられています。

現在、上七軒花街が、五つ団子の紋章を用いるのは、実にこの名物御手洗団子に由来するものであります。
(歌舞会記)